バレンタインデーのお話しー日本と海外ー

来週2月14日はバレンタインデー。

ちょうど火曜日ということもあり

チョコレートを山のようにもらう男性美容師もいるかもしれませんね。

先週に引き続きバレンタインネタでお送りしますが


今回のお話しは結構シュールです。

でも、まあこのブログの読者さんは大人でしょうから

雑学の一つに加えてくださいね。

それにしても企業戦士とはよく言ったものです。



バレンタインデーは女性が男性にチョコレートを贈る日。

でも、日本ではどうしてこのような形で定着したのでしょうか? 

このページ見れば、今まで知らなかったバレンタインデーについての歴史が分かります。 


 日本初のバレンタインデー広告1936年

 日本初の新聞広告掲載 日本のバレンタインデーの始まりは 神戸の洋菓子店モロゾフです。

 1936年2月12日に 東京で発行されていた英字新聞『ザ・ジャパン・アドバタイザー』 へ 掲載した新聞広告で、チョコレートを贈ることを提唱しました。 

当時の広告には「バレンタインデーにチョコレートを」 と書かれています。

 このこともあり、神戸が日本のバレンタインデー発祥の地として 1992年に聖バレンタイン殉教の地イタリア・テルニ市から 神戸市に愛の像が送られました。


 1958年 日本初の百貨店販売 伊勢丹新宿本店でメリーチョコレートが バレンタインセールをしました。 これが初めて百貨店で行われた バレンタインデーのキャンペーンです。 キャンペーンは3日間開催され その間に売れたのは30円の板チョコ5枚と4円のカード5枚だけでした。


1959年にメリーチョコレートは バレンタインデー向けにハート型チョコレートを販売しています。

1960年代 バレンタインデー発展期 60年代になるとお菓子メーカーや百貨店が バレンタインデーを積極的に売り出すようになります。

 1960年には森永製菓が新聞広告などマスコミを通してバレンタイン企画を行い、 チョコレートの販売促進を図りました。

 1965年には伊勢丹が 1968年にはソニープラザがバレンタインフェアーを開催しています。 しかし、この頃は「バレンタインの贈答品=チョコレート」とはなっておらず、 新聞広告にもチョコレートの文字はありませんでした。 森永製菓などのお菓子メーカーも 贈答品のおまけとしてチョコレートを添える程度にしか扱っていません。

 1970年代 バレンタインデー定着 70年代前半には小学校高学年から女子高生の間で バレンタインデーのチョコレートが急速に広まります。 そう言えばこの頃、小学生だった私も 同級生の女の子に校舎の裏に呼び出されて、 ドキドキしながらチョコレートを受け取った覚えがあります。 (いい思い出です) 当時は、お菓子メーカーが主導となって広まっていったので 手作りチョコはほとんどなく、私が受け取ったチョコレートも、 どこかのお菓子メーカーのハート型チョコでした。

 1980年代 ホワイトデーと義理チョコが定着  

1977年に、福岡県の和菓子屋・石村萬盛堂が バレンタインデーのお返しにマシュマロを‥‥ ということでマシュマロデーというのを初めました。

1979年になると他の菓子店が ホワイトデーという名称で普及を図ります。 

1984年にはホワイトデー用の商品が品不足になるほどの盛況となり、 ホワイトデーが定着しました。 それとほぼ同時進行に、義理チョコという概念が登場し、 それまでは交際していない女性が意中の男性に贈る事になっていたものが、 恋愛感情が伴わない男性にも贈るようになり、 70年代のようなドキドキ感は、すっかり無くなってしまいました。


 現在 友チョコがバレンタインデーの主役 60年代に発展してきた日本のバレンタインデーは 半世紀の時を経て、女性から男性へではなく 欧米のように性別に関係なく、愛する人にプレゼントを贈る形に変化してきました。 今や、バレンタインデーの主役は 女性同士でチョコを贈りあう「友チョコ」です。 また、男性から女性にチョコを贈る「逆チョコ」なども登場し、 バレンタインチョコの種類は多義に渡っています。

 

(暮らしの豆知識より)



日本に限らずビジネスマンは沢山のアイディアから自社を育ててきたのですね。

明るく楽しくチョコレートをあげましょう (●^o^●)



美容室美神本店ブログ

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美容室びしん本店ブログ 1985年~  ファミリーでご利用の皆様が「友達の部屋でカットしてるみたい」と言ってくれます。 意外と話しやすいので初めてでも安心して相談してください。 コンクールも優勝、受賞者を多数輩出してきました。今度遊びに来ませんか?

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